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文学
多くの文学者、作家が網走を訪れています


網走の文学碑


金田一京助歌碑(モヨロ貝塚)
所在地・北ニ東一 昭和31年9月10日建立
建立者・米村喜男衛 揮毫・金田一京助

おほつくのもよろのうらの夕凪に
いにしよ志のび君とたつかな

昭和二十二年から三ヶ年にわたり文部省の意を受けて東大教授駒井博士を主班とする各大学其の他の学徒三十余名の参加を得てモヨロ貝塚学術調査が行なわれたさい特別指導者として原田叔人博士とともに御来網の際よまれて書かれたものである。

オホーツク文化最大の遺跡・モヨロ貝塚発掘調査の指導に何度か来網していた言語学者金田一京助博士の歌碑。
碑の歌は発掘現場で更紙にさらさらと書かれ、米村氏に渡されたもの。これはいい歌ですね、と米村氏が言ったところ、帰京後に毛筆で揮毫したものが送られてきたということです。


臼田亜浪句碑(天都山)
所在地・天都山 昭和32年11月建立
建立者・十七美会

今日も暮るる吹雪の底の大日輪

この句碑は本邦俳壇の巨匠故臼田亜浪先生が大正十三年一月北門巡杖の途次ゆかりの地網走の旅舎から望んだ朔北厳冬の大自然に描き出されたすばらしい景観に詩情を深め更に亦鉄路未没の斜里への道すがら全国的に名を知られるに至ったトウフツ湖畔原生花園につながる白鳥のロマンに秘められた氷結の湖上に馬橇を馳った際の風懐作として
 橇の親子に寒凪の日が恵まるる
の詠吟と共に北方ローカルを象徴して余す所のない悠久感銘の作としてあまねく鑑賞のしるべとしたい。
昭和三十二年十一月
 網走十七美会建之

臼田亜浪が大正十三年冬に網走を訪れ大吹雪に見舞われたおり、市内の喜望楼で開かれた句座で披露された歌。
市内の俳句会十七美会が、昭和三十三年に四十周年を迎えた時、記念として建立しました。天都山の流氷館入口で見ることができます。


常陸宮妃殿下御歌碑(天都山)
所在地・天都山 昭和55年7月1日建立
建立者・網走市 揮毫・松本春子

常陸宮妃殿下御歌
網走の子らのくれたるえぞ桜今年の春は花咲くらむか

御歌は昭和五十五年宮中歌会始めの儀において常陸宮妃殿下が昭和五十四年九月網走市において開催された第十四回赤十字北海道大会に御臨席のため御来網の際網走高等学校から贈られたえぞ桜をお詠みになられたものであり揮毫を北海道開発功労賞北海道文化賞受賞者松本春子氏に嘱し田村直美氏の好意を受けここ桜公園に記念歌碑を建立するものである
 昭和五十五年六月建立 網走市

昭和五十四年九月に網走市で開かれた赤十字北海道大会に、常陸宮妃殿下がご臨席された折、網走高校では各宮様に桜の苗木六本を寄贈されました。その翌年新春の歌会始の勅題が桜で、常陸宮妃はこの時のことを歌に詠まれました。網走という名が入った皇族の歌は珍しかったので、これを記念して建てられたのがこの碑です。歌碑が建てられているのは天都山の桜公園で、毎年五月になると歌に詠まれたエゾヤマザクラの花が満開となります。


浅利古城子句碑(呼人)
所在地・呼人 昭和47年10月17日建立
建立者・十七美会、呼人同志会、観光後援友の会

一陣の青嵐見えて遥かなる   古城子

故浅利栄一(古城子)戦後荒廃の故山に帰り「国敗れて山河あり。山紫水明の郷土網走、その生きる道は、観光あるのみ」と喝破す。「われ此処に観光の鍬を下す」とささやかなる草庵を結び、網走湖荘と名づく。これ観光網走の出発点である。爾来二十有五星霜、網走観光躍進のうちに、網走開基百年を迎え故人の十七回忌を期しここにその遺業を讃えて顕彰句碑を建立する。 昭和四十七年十月十七日

古城子は網走湖畔に建つホテル、網走湖荘の創業者であり、網走を道立公園から国定公園に昇格させるなど網走観光の草分けとして活躍した人物です。
句は、昭和三十二年の初夏に句碑の建てられた辺りから湖を望んで詠まれたものだといいます。古城子は翌年に五十三歳の壮年で他界しました。

 

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