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文学
多くの文学者、作家が網走を訪れています


古代人とオホーツク

表紙

「街道をゆく 38 オホーツク街道」 司馬遼太郎
(1993年 朝日新聞社)

 

司馬遼太郎は、1971年から1996年まで週刊朝日に連載されたライフワークとも言うべき「街道をゆく」シリーズの中で、オホーツクを訪れています。『街道をゆく オホーツク街道』は、流氷の流れ着く北海道・オホーツク海沿岸で発見された多くの遺跡を巡り、北の狩猟民族の姿を追ったものです。

オホーツクは古代流氷と共にアザラシやトドを追ってやってきた、モヨロ人と呼ばれる北方狩猟民族が住み付いた土地。司馬氏は網走で発見された遺跡・モヨロ貝塚に始まり、北方少数民族の資料館ジャッカ・ドフニ、北方民族博物館などを訪れ、北の民族の源流と行末に想いを馳せます。
この連載では二度来網されており、秋にはサンゴ草、冬は氷の張った網走湖の描写が出てきます。

サンゴ草まつり(卯原内サンゴ草群落地にて)
「愉快なのは、草よりも人だった。
近在のひとびとにとって、草が赤くなると祭のような気分になるのか、ちょうど春の野遊びのようにあちこちで弁当をひろげている。

能取湖のサンゴ草

秋を送る祭である。屋台もたくさん出ていた‥(中略)‥たべもののゆたかさこそ、オホーツク沿岸の古代的風景を想像するきめ手に相違ない」

 

オホーツクは、農産物も海産物も豊富な「食の大地」。オホーツク海の冬の風物詩・流氷の下では、たくさんのプランクトンが育ち、豊かな漁場を作り出してくれます。また、広大な畑作地帯でもあり、夏は青々とした畑がどこまでも連なります。そういった好条件がオホーツク独自の文化を育んでいったのです。

司馬氏の滞在したホテルは網走湖がよく見渡せる湖畔の丘の上にありました。

「網走は、地形がおもしろい。‥(中略)
湖は、網走湖、能取湖、藻琴湖、などがある。私のホテルからみえる水景が網走湖で、島影も水の青さも、どこか重い。
網走湖海跡湖だという。まわりの山々はひくく、湖に細くながながとつき出た長洲があり、水景に緑をあふれさせつつも、どこか、死後の景色をおもわせるほどに寂(しず)かである」

 

この後、網走川へと描写は移り、その河岸で見つかったオホーツク文化発掘の経緯について話は展開していきます。司馬氏の湖からうけた印象は、海跡湖という、元は海だったところが海流によって運ばれた砂などが砂洲となり、ぽつんと取り残されてできたという現象のイメージや、陵のような半島、あるいは網走川のそばのモヨロ貝塚に眠っていた古代人のことが背景にあったからでしょうか。

2003年の夏から、半世紀ぶりにモヨロ貝塚の本格調査が行われています。モヨロ人の数々の謎が明らかにされることで、また網走の新たな表情が生まれることでしょう。

 

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